6月13日THE BOTTLE

昨日、訃報が入りました。

東京に居た時にDJをやっていた頃に世話になった先輩が亡くなった。当時師匠の次に世話になった人。
Mr.morikazu sone......一言で言うと......不思議で......全てにおいてピースな......人だった。

ちょっと昔を振り返って....

Mrと知り合えたのは今でも存在する六本木スクエアービルのB1「玉椿」というディスコ(新宿ツバキハウスの兄弟店)
当時六本木ではちょっと名のしれたディスコだった。当世の中はディスコ大ブーム。皆がディスコソングやソウル、ユーロビートをかけていた(無論俺も)

そこでチーフDJだったMrは多少お愛想でそこら辺かけていたけど....思いっきりブラックミュージックだけを突き詰めて行っていた。店からの要望も無視して。
つなぎにはこだわらず好きな曲をかける(かけるというより自分が聴く!プレイ中よだれを流す事もしばしば)
ハウスにもいち早く没頭していった。あの時代「ハウスミュージック」と言い出した先駆けな人だった。ハウスとはいってもNYなどの前フィラデルフィアあたりのDEEPERなやつ。
プレイも独特。ハウスなら普通BPMを合せ曲と曲をミキサー上でリズムをシンクロさせ変えていくのが通常のプレイスタイル。
この先輩のスタイルはBPMは適当に合わす。そしてフェーダーの片方を親指と人差し指でもう一つのフェーダーを他の残った指で持ち小節の頭でドンっとぶち込み変えていく。
ビートが多少ずれてもおかまいなし、このやり方は凄かった(昔は今の様なディスコミキサーもあったが縦フェーダーのみが多かった)
当時は小節の頭で曲をいきなりぶち込む(カットイン)というのはターンテーブル上で自分なりのポイントを見つけ1.2.3.4.5.とカウントしてスイッチオン。
5でフェーダーを上げ、切る曲のフェーダーを下げる。
これだとターンテーブルが完璧に立ち上がっているので指抑えで曲を押し出すのと違い頭[うにゅ」が無くタイムラグが無かった。これが主流(当時もこれが決まると恰好良かった)
ちょっとわかりずらいかな。

と、そんな事でも勉強させてもらった。
それに職場が六本木辺りが多くよく店がはけた後(DJは掃除などやらずに曲をとめたらすぐに帰れた。DJは優遇されていた)朝までやっているちょっと美味しいお洒落な
お店なども良く連れていってくれた。
昔のDJは音楽だけでなく流行に敏感な人がなりえたそんな時代

いろんな意味で東京での生活を教えて貰った。

そしてその先輩が最高に好きで崇拝していたギル.スコット.ヘロン(現ヒップホップにも多大な影響)が先日5月27日亡くなった最近....Mrも亡くなりました。
もしかしたら同じ日に亡くなっていたのかとも思う。
そうなら幸せに逝ったのだと思えるからそう想いたい


享年55歳死因は不明......
本当に色々ありがとうございました。心よりご冥福をお祈ります。


追悼曲はもちろんGIL SCOTTO HERONの代表曲「THE BOTTLE」そして去年発売され遺作となったアルバムからもう1曲「ME AND THE DEVIL」

今日はこんな本当にプライベートな話しでm(_ _)m




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